#36

母祖母が来る。

 

仕事系も終わって初めての完全フリータイム。

 

向かいの家の猫がいつも可愛い。

 

何かしたらすぐこっち見てくる。

 

でも今日は豪雨でいないみたい。

 

体力と時間、スペースに余裕が無いと食って寝るしかできなくなる。

 

でも今は凄くリングフィットでもしようか、良い作品でも作ろうかという晴れやかな余裕ある気分。

 

何かで頑張れない時って自分が悪いのではなく、

 

単に生活で脳が疲れさせられているからなんじゃないか。

 

現に今こんなにやる気で満ち溢れているから。

 

変に自分を嫌いにならなくていいかも。

 

 

#31

人と話すことの楽しさを理解したと同時に、

 

人は人ごとに領域が大きく分かれていることを自覚した。

 

要は気の合うやつかどうか、

 

同じ事で遊んでるかどうか、

 

その辺が相容れなければ結局は踏み込めないし踏み込まれない。

 

ある意味堂々と人に言えるような楽しみ方を広げていく、

 

あるいはそうでなくても特殊性のある楽しみ方を行う事が

 

人との会話をもっと楽しくするかもしれない。

 

あとやはり上司などは所詮委縮してしまうもので、

 

それも同じ事で遊んでないから踏み込めないし

 

踏み込まれないのだろう。

 

 

 

 

あと今日は税金をめっちゃ払った。

#29

職場でこの人と喋りたい!と思う2人がいる。喋ってて楽しい。

 

一方で、この人とは喋りたくないと避けてる2人もいる。

 

丁度2:2で、分かれていて共通点が分かりやすい。

 

これはコミュニケーションの勉強になるかと思い分析してみた。

 

 

 

Aチームの二人:自分が本心からどんな人か知りたい

        相手も自分のことを知ろうとしてくる

Bチームの二人:どんな人か知りたくない

        相手も自分のことを知ろうとしてこない

(+おまけにAチームは朗らかな表情・態度・話しかけたそうに見てくるし実際話しかけてくる

 一方Bチームは真顔も多く「嫌われているのか?」と怖くなる時がある

 自分が受け入れられている感=声を掛ける、掛けたそうに近づいてくる、

表情・態度は重要な材料のように思える)

 

 

 

多分、

人とのコミュニケーションとは人間にとって元来「遊び」

ゲームや音楽と同じく遊びたくて喋るものなのだ。

 

喋りたいと思って実際喋るのは、楽しい。

コミュニケーションに金を払う店は繁盛する。

会話は遊びだ。

 

❶相手の事を聞ける(知らない世界に触れられる)という遊び

❷自分の事を話せるという遊び

 

世にはこの片方だけで満足する人も往々にいるけど、

❶だけでは警戒されるし、自分に興味を持ってもらえない。

❷だけでは自分勝手に思われる。相手も自分の事を話したいから。

 

 

結論は、

❶「自分への興味ポイント」を持たせる=相手にとっての❶を満たす

❷「本心で相手への興味ポイント」を見つける=相手にとっての❷を満たす

❸接近(恥ずかしがらず仲良くなりたそうな)態度を示す

❹などで仲良くなった後はもう自分側(身内)扱い=本質的な親友

 

という事が会話という遊びをしたくなる楽しみ方。

相手に興味を持ってもらって掘り下げてもらう事が前提だから自己開示を自分から控えてしまう理由になる嘘は最悪だし、朗らかなだけで相手に興味を持ってもらおうと自己開示していないから本当の人間関係は相手が作ろうとしないし、何より相手への興味ポイントが見つけられていないと楽しくないから会話で遊ぼうとも思えない。たまにいる属性的に興味のある人としか。